友人のお祖父さんが亡くなったそうで。

残念なことですが、きちんと人の生死について考えてもらいたかったので、向き合う機会を頂いたんじゃ

ないかな、とも思います。



その話で13年前の今頃に祖父が亡くなったことを思い出しました。

父方の祖父母は産まれた時にはいなかったので写真でしか知らず、母方も祖母は物心付く前に

亡くなっていたので、私がきちんと知っているのは母方の祖父だけです。

祖父は、若い頃はやはり明治生まれの人って感じの人だったらしいのですが、私の知っている祖父は、

静かで優しい人でした。

私は祖父に学校の宿題で戦争について聞いたこともありましたが、他の誰かに戦争の話をしているなど

聞いたことがないと、伯母や伯父が驚いていました。

そんな祖父が毎朝食べていた目玉焼き。

うちは、朝は玉子焼きとご飯という家で、その点は祖父の家に行っても変わらなかったのですが、昼や夜は

私達と同じ物を食べる祖父が、朝だけは私達と別で目玉焼きとトーストを食べていたのがすごく

印象的でした。

明治の人にしてはちょっとハイカラですよね(笑)

その目玉焼きがすごく美味しそうで、憧れてました。

それもあって今は「目玉焼きが好きだ」と一度言った私の言葉を覚えている母が頻繁に目玉焼きを

食べさせてくれます。

高校の頃は「中が柔らかい玉子焼きが好き」と言ったら、「中が柔らかいって難しいのよ」と文句を言い

悪戦苦闘しつつ、毎日のようにお弁当に入れてくれた母。

一度「好きだ」と言った物は体に悪くない限り頻繁に食べさせてくれる母を健気でかわいい人だと思います。

本当に感謝しているし、きっと祖父もそうだっただろうなと思います。

そういう健気な優しさを持っているのは母の兄弟では母だけだと思うので。



他に祖父で印象的なのは、晩年、一緒に出掛けた記憶です。

母の帰省時に外に連れて行ってくれるのは、両親以外ではもっぱら伯母達でした。

祖父はあまり家から出ない人で、お墓参りくらいしか一緒に外出した記憶はないのですが、私が覚えている

くらいなので、恐らく小学校に入ってからのことだと思います。

母の兄弟唯一の兄夫妻の家を訪問した記憶と、夕暮れの海の家で食事をした記憶です。

母の兄の家では初めて行儀を注意されて驚いた記憶が強く残っています。

理由は忘れちゃったけどね。

いつも穏やかな祖父がちょっと怒ったのですごく衝撃的でした。

そして海の記憶。

祖父はその辺りではちょっと名の通った会社を興した人だったのもあって、行きつけの場所がいくつかあり、

その海の家もその内の一つで、両親と妹とは何度となく行っていた所でしたが、祖父と行ったのは

初めてでした。

海とは、私にとっては昼間に行って泳ぐ場所でしかありませんでした。

でもその時は、夕方頃に行って、海に沈む夕日を見ながらご飯を食べたのでした。

オレンジに染まった海の家で食べた鱚(きす)のフライが、新鮮でほくほくで、すごく美味しかったのを

今でも覚えています。

って裏タイトルは『祖父と味覚』かしら(爆)

本当にね、こっちの魚って食べられたもんじゃないと常日頃思いながら食べている(結局食べてんじゃん!

っていうね(苦笑))のですが、鱚は特にそうですね。

向こうは刺身で食べますから。

あとは筋子とたらこと鮭ね。

信じられないくらいしょっぱいか臭いかだよね。

たらこは生が美味いけど、こっちのは全くの生とか怖くて食べられんもんね(苦笑)

まぁあんなにご飯が美味しいと、食が進みすぎて末恐ろしい結果が予想されるので、こちらに住んでて

よかったと心から思います。

あの頃はバブリーで贅沢な生活してたのかな…と今となっては思います。

そんな生活に戻れるよう、きっちり働いていきたいです。

少なくとも年に一度はそろって母の田舎に行けるように…。

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